十二代田原陶兵衛 萩茶碗 鵬雲斎宗匠
2017年9月5日(火)
十二代 田原陶兵衛造 萩茶碗を入手しました。
茶陶として有名な萩焼は、江戸時代に周防・長門の二国を領有する毛利氏の御用窯として発展した陶器で、その歴史は今から400年以上前の文禄元年(1592)、豊臣秀吉の朝鮮出兵に遡ります。
安土桃山時代、珍重されたのが高麗茶碗です。秀吉の朝鮮出兵「文禄・慶長の役」の際には「技芸ある陶工」の招致が指令され、出陣した西国大名たちは多くの朝鮮の陶工を日本に連れ帰ります。このとき招致された陶工によって有田焼など西日本各地の陶磁器が創始されたことから、この戦は“やきもの戦争”とも呼ばれています。
後に萩藩の開祖となる毛利輝元もまた、秀吉から茶の湯に親しむことを許され千利休や古田織部とも交遊があった大名で、文禄慶長の役の際に朝鮮の陶工李勺光を、のちに弟の李敬も招きました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに敗れ領土を削られた輝元は、安芸の広島から長州の萩へ移ることになります。輝元にお預けの身となっていた李兄弟もこれに従って萩へ移り、萩の松本村に藩の御用窯を開いたのが萩焼の始まりです
萩焼はざっくりとした焼き締まりの少ない陶土を用いた、独特の柔らかな風合いが特徴です。土が粗いため、土と釉薬(うわぐすり)の収縮率の違いによりできる表面の細かなヒビ(貫入)から水分が浸透し、器の中から表面にまでいたります。この浸透により、使い込むほどに器の色合いがだんだんと変化し、なんとも言えない侘びた味わいを醸すようになります。この変化は「萩の七化け」と呼ばれ、萩焼の特徴的な魅力となっています。
鵬雲斎宗匠のお箱書き。
十二代 田原陶兵衛
1925年 山口県長門市に生まれる。
1944年 旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。
1945年 シベリアに抑留される。
1948年 抑留先のシベリアから復員後、長兄11代田原陶兵衛に後継者不在の為家業を継承。
1956年 12代田原陶兵衛を襲名。
1972年 日本工芸会正会員。
1981年 山口県の無形文化財保持者に認定。
1991年9月27日没。66歳没。
作者共箱。
径13,3センチ 高8,4センチ
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